長禅寺から徒歩15分。
金手駅から少し北に進んだ小高い丘の上。
そこに、戦国武将・武田信玄に深くゆかりのあるお寺、能成寺(のうじょうじ)があります
甲府五山のひとつにも数えられるこのお寺は、なんと武田信玄公の祖父にあたる武田信守公が開いた寺なのです。
今回は、そんな能成寺の見どころや歴史、そして実際に訪れて感じた“ぽんすけ&こんぺい的”おすすめポイントをお届けします。
能成寺ってどんなお寺?
創建:西暦(1345年 – 1349年)(貞和年間)
南北朝時代
宗派:臨済宗(妙心寺派)
山号:定林山
ここが能成寺ってお寺だね!武田家とゆかりがあるって聞いたけど、どんな歴史があるのかな?
実は、信玄のおじいちゃんの代から続く、由緒あるお寺なんだよ。しかも甲府五山のひとつなんだって!

天目山に似た地で開かれた禅の道場――能成寺のはじまり
中国にある天目山(てんもくざん)で修行を積んだ業海本浄(ごっかいほんじょう)禅師が、天目山に似ている場所として、甲府の地で修行をしておりました。
そこを、時の国主であった武田信守公に呼び出され、八代郡(現:笛吹市)に開山したのが能成寺です。
現在は八代町指定の史跡「能成寺跡」として残されている。
武田信玄公が支えた禅の拠点
信玄の時代には、能成寺は甲府城下(現在の甲府市宝)に移されました。
この寺は、武田信玄公により甲府五山の一つに定められ、信玄公は深く帰依するとともに、禅の教えを政治や軍略に積極的に取り入れていきました。
移転と焼失、そして再建へ ― 能成寺の近代史
武田家滅亡後、文禄年間(1592年 – 1595年)に現在地へ移されたと伝えられています。
しかしながら、能成寺は、嘉永4年(1851年)と昭和20年(1945年)の甲府大空襲で伽藍を焼失しました。
特に昭和の空襲では、防空壕に保管していた貴重な品々まで焼失してしまったそうです。
その後、昭和61年に本堂、平成3年に書院、平成9年に庫裡が再建され、現在の姿になっています。
甲府の小高い丘の上…能成寺
門

本堂


業海本浄禅師塔
開祖のお墓があります。
武田信守公供養塔
武田信玄公のおじいさんにあたる信守公の墓があります。
赤穂浪士・大野九郎兵衛の墓
赤穂浪士といえば「忠臣蔵」で知られる四十七士が有名ですが、実はその陰で「金庫番」として支えた人物がいました。それが大野九郎兵衛です。
討ち入りののち四十七士が切腹する中、大野九郎兵衛は後世に武士道を伝えるため生き残り、甲斐の国(現在の山梨)で余生を過ごしたといわれています。
彼の墓には、まるで討ち入りを予見していたかのような辞世の句が刻まれており、静かに歴史を物語っています。
芭蕉碑

芭蕉の「名月や 池を廻りて 夜もすがら」の句を刻んだ碑
宿龍池の碑

能成寺(のうじょうじ)に伝わる「宿龍池(しゅくりゅうち)」の龍の伝説は、地域に古くから語り継がれる興味深い話です。
かつて能成寺の周辺には大きな池があり、「宿龍池」と呼ばれていました。この池には龍が棲んでおり、時折暴れて洪水を引き起こすことがあったと伝えられています。そのため、僧侶たちはお経を唱えて龍を鎮めたとされています。この伝説を記念して、境内には「宿龍池の碑」が建立されており、訪れる人々にその物語を伝えています。
虎嘯石
富士山の形に似ていたことから、富士を模した石として置かれていた石があります。
ところがある日、駿河(現在の静岡)の人がやって来て「この石は駿河にあるべきだ!」と強く訴えたそうです。
それに腹を立てた当時の住職が、その石を蹴って逆さまにしてしまいました。
すると、今度はその姿が虎に見えるようになり、「虎石(とらいし)」と呼ばれるようになりました。
富士山大息合結縁地蔵尊
かつて富士山八合目・大息合に安置されていた仏像が、ある日、僧侶の夢に現れ「直してほしい」と訴えました。能成寺に運ばれて修復・供養されたのち、元の場所に戻そうとすると、仏像は再び夢に現れ「この場所が気に入った。ここから人々を救いたい」と告げたといいます。
以来、仏像は能成寺にとどまり、戦争で一部を損傷しながらも、今なお本堂に安置され、多くの人々を見守り続けています。
書院

庫裡(御朱印所)

御朱印やってます。
駐車場とアクセスのワンポイント!
駐車場:あり
料金:無料
運転に慣れてないなら、門から入らない方が良いよ。
裏から入るんだけど、わかりにくいから、ぼくたちがまとめた地図をみてほしいよ
👉詳しい入口と駐車場まとめはこちらの記事で!
『甲府五山』お寺ごとの駐車場をまとめたよ!(能成寺駐車場)
地図
ぽんすけのまとめ
甲府にある「能成寺(のうじょうじ)」は、信玄公のおじいちゃん、武田信守公が開いたお寺なんだよ。
はじまりは南北朝時代、今の笛吹市八代町に建てられたんだって。
その後、信玄公の時代になると甲府城下に移されて、甲府五山のひとつに。
信玄公もこのお寺をとっても大事にして、禅の教えを政治や戦の知恵に活かしてたんだよ。
戦や空襲で何度も焼けちゃったけど、そのたびに立ち直って、今も静かに甲府の街を見守ってるお寺だよ。
歴史がギュッとつまった、しずかで立派なお寺。ぜひ足を運んでみてほしいな。