東光寺(とうこうじ)|二度の災禍を生き延びた奇跡の仏殿

旅行

甲府駅から少し離れた静かな住宅街。
そこに、静かにたたずむ一つのお寺があります。

それが、武田信玄公ゆかりの寺、東光寺です。

甲府五山のひとつにも数えられるこのお寺は、
平安時代から続く長い歴史を持ち、今も変わらず禅の教えを伝えています。

今回は、そんな東光寺の見どころや歴史、そして実際に訪れて感じた“ぽんすけ&こんぺい的”おすすめポイントをお届けします。

東光寺ってどんなお寺?

創建:西暦1262年(弘長2年)
   鎌倉時代

宗派:臨済宗(妙心寺派

山号:法蓋山

庭園を拝観することができます。

興国院から東光寺へ—平安時代から続く歴史の変遷

平安時代の保安2年(1121年)に甲斐源氏の祖新羅三郎義光によって「興国院」として国家鎮護仏法興隆の祈願所として諸堂を建立。本尊に釈迦如来を安置、興国院と名付けたことに始まるといわれています。
その後、荒廃しましたが、鎌倉時代の弘長2年(1262年)、渡来僧・蘭渓道隆によって禅宗寺院として再興され、「東光寺」と改められました。

平安時代末期ごろから続くんだ。
歴史あるお寺だね。

二度の災禍を生き延びた奇跡の仏殿

ねえ、こんぺい。ここってすごい歴史があるんだよね?

そうだよ。平安時代から続くお寺で何度も再建されているんだ。

いつからお寺が残っているの?

実はね、武田家が滅んだあと、織田信長が甲府に攻めてきたんだよ!!
その時、信長は甲府善光寺に本陣を置いて、なんとこの東光寺も焼いちゃったんだって。

えぇっ!?じゃあ、ここ全部その時燃えちゃったの?

それがね、仏殿だけが奇跡的に焼け残ったんだ。今でも、仏殿の柱には織田軍が乱入したときにつけた刀傷が残ってるんだよ。

そんな昔の傷跡が今も残ってるんだ…。すごいねぇ。

しかも、昭和の甲府大空襲でも、被害にあったんだけど、仏殿だけが焼け残ったんだよ。
まるで、守られてるみたいだよね。

うわぁ…仏殿って、本当に特別な存在なんだね。

武田信玄と禅

戦国時代、武田信玄公は臨済宗関山派に深く帰依し、禅の教えを政治や軍略に取り入れました。

信玄公は、禅宗の教えを守り、仏教の精神に基づいて武士としての行動規範を持っていたため、東光寺においても重要な祈願や供養が行われていました。信玄公が戦や政治において大きな力を発揮した背景には、こうした精神的な支えもあったと考えられます。

また、信玄の時代、当山の住職は藍田恵青和尚でした。藍田は信玄の伯父に当たり幼名を武田二郎といい、仁甫禅師につき出家得度した人です。
信玄の帰依は厚く、天文年中、諸堂は再興され寺域は整備されました。

東光寺の瓦に武田の家紋があったよ。

山梨県指定名勝の庭園を見よう

山梨県指定名勝に指定されている東光寺庭園ですが、見学ができます。

拝観料:300円

拝観料が拝観には拝観料がかかるよ。
入り口で案内が出ているので、ちゃんと確認してね。
それから…
入る前に鐘をひとつ鳴らすのがルール!
「こんにちは、拝観させてください」って合図みたいなものかな。
ちょっと緊張するけど、お寺ならではだね。
落ち着いた気持ちで、庭園を楽しもう!

甲府のまちなかにひっそりと…東光寺

惣門

中門

仏殿(国指定重要文化財)

仏殿は「唐様(からよう)」という中国風の建築様式を取り入れており、約8メートル四方の正方形の形をしています。
屋根の形は「入母屋(いりもや)造り」といって、伝統的な日本の寺院建築によく見られるものです。
さらに、もう一段下に屋根がついている「裳階(もこし)」という構造が特徴で、屋根はヒノキの皮を何枚も重ねてふいた「桧皮葺(ひわだぶき)」でできています。
全体的に、なめらかな曲線が流れるようで、とても美しく仕上げられています。

西暦1582年(天正10年)に織田信長の兵火、西暦1945年(昭和20年)に戦災を逃れ今日に伝えられている。

唯一災禍を逃れた、室町時代の建物なんだよね。

本堂

禅堂

庭園

山梨県指定名勝

本堂と庫裏背後の山畔斜面を利用した庭園。斜面には石組、平坦地は池となっている。寺伝では蘭渓道隆の作庭とされる池泉鑑賞式庭園。

中庭

武田氏の家紋だね。

武田義信公墓所

武田義信は、武田信玄の子供で長男だね。

諏訪頼重公墓所

諏訪頼重公について詳しくはこちら

簡単に言うと、武田信玄公の義理の父親かな。でもちょっと複雑な関係だね。

柳沢家墓所

柳沢家(やなぎさわけ)は、江戸時代に繁栄した大名家のひとつで、特に柳沢吉保(よしやす)が有名です。彼は徳川五代将軍 綱吉の側用人(そばようにん)として絶大な権勢を誇り、のちに大名として甲府藩主になります。

江戸期に入り甲府城主柳沢家の保護を受け、享保2(1717)年、仏殿・薬師如来・十二神将像などが修理され面目を一新したことからも関係が深いことが伺えます。

鐘楼

萬霊等(萬霊塔)

甲府の東光寺には、「萬霊塔(ばんれいとう)」と呼ばれる供養塔があります。
これは、特定の誰かのためではなく、「この世に生きてきたすべての人々の魂」を供養するために建てられたものです。

なぜ東光寺にこういったものがあるかというと。。。
東光寺は、戦国時代に武田氏と深く関わり、多くの戦いや動乱を見てきた場所です。
また、織田信長軍による焼き討ちや、さらに昭和の甲府大空襲など、たびたび大きな災難にも見舞われました。

そうした歴史のなかで、戦で亡くなった無数の人々、災害で命を落とした人々、名も知れぬ多くの霊たちを慰めたいという願いが、萬霊塔に込められています。

文化財

山梨県指定文化財

絹本着色水墨墨竹図(けんぽんちゃくしょく すいぼくぼくちくず)

木造薬師如来坐像
 像高:51.5cm
 桧材で内刳のある寄木造

木造薬師十二神将像(もくぞうやくしじゅうにしんしょうぞう)
 像高:88.5cm~82.5cmの12体
 子神の頭部内面に弘長2年(1262)の墨書銘あり

仏殿内に木造薬師如来坐像と木造薬師十二神将像は公開されていたよ。近くに寄れないけど、本堂では写真で見ることができたよ。

駐車場とアクセスのワンポイント!

駐車場:あり

料金:無料

初めて行く人は、ナビだけじゃちょっと不安かも。事前チェック、大事!

ぼくたちが迷った場所とかもまとめてあるから、ぜひ参考にしてね

👉詳しい入口と駐車場まとめはこちらの記事で!

『甲府五山』お寺ごとの駐車場をまとめたよ!(東光寺駐車場

地図

臨済宗 東光寺 · 〒400-0807 山梨県甲府市東光寺3丁目7−37
★★★★☆ · 仏教寺院

ぽんすけのまとめ

甲府駅からちょっと歩いたところにある東光寺は、すごく古いお寺で、平安時代から続いてるんだよ。
武田信玄の時代にも大事にされてて、いまでも鎌倉時代の仏殿がそのまま残ってるのがびっくり!
しかも、戦でも空襲でもその仏殿だけは焼けなかったっていう、ちょっと不思議な話もあるんだ。
庭園も見られるし、鐘を鳴らして入るのも楽しいよ!

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