緑ヶ丘スポーツ公園の北側の甲府の町のはずれ、緑に囲まれた小道を進むと現れるのが、武田家ゆかりの法泉寺が現れます。
武田信玄の祖・信武が開き、戦国の動乱をくぐり抜けながら、いまもなおその歴史と静けさをたたえています。
今回は、そんな法泉寺にぽんすけとこんぺいが訪ねてみました。
法泉寺ってどんなお寺?
創建:西暦1329年〜1332年(元徳年間)
南北朝時代
宗派:臨済宗(妙心寺派)
山号:金剛福聚山
山号の名前は、境内にある「金剛福寿巌」っていう大きな石からきてるんだって!

2代目が開祖? 法泉寺のはじまり
甲斐国の国主・武田信武(たけだ のぶたけ)公が、名僧・月舟禅師(げっしゅうぜんじ)を招いて建てたお寺です。
本来は月舟禅師が初代になるはずでしたが、禅師は自らを二代目とし、恩師である夢窓国師(むそうこくし)を初代(開山)として敬いました。
尊敬していたお師匠様を開祖としたんだね。
夢窓国師は、禅の世界ではとっても有名な人なんだよ。
空白の200年
最初は夢窓国師の流れをくむ「五山派」として栄え、室町幕府の保護を受けていましたが、幕府の力が弱まるとともにお寺も衰え、約200年間は記録がほとんど残っていません。
ここでいう五山は、京都や鎌倉の五山の流れをくむ禅宗寺院のことで、甲府五山のことを指しているわけではないよ。
武田信玄と甲斐五山

戦国時代、武田信玄公は臨済宗関山派に深く帰依し、禅の教えを政治や軍略に取り入れました。
当時、臨済宗の中でも妙心寺を中心とした「関山派(臨済宗妙心寺派)」が勢力を伸ばし、法泉寺もこの流れに加わります。
信玄公は、祖先・武田信武公ゆかりの寺である法泉寺を重んじ、快岳周悦(かいがくぜんじ)を住職に迎えて修理や寄進を行いました。その結果、法泉寺は「甲府五山」のひとつとして数えられるまでに発展しました。
武田家最後の主君・勝頼公を弔った禅師
武田信玄公が死去し、あとを継いだ勝頼公も寺を支援しますが、天正10年(1582年)、武田家が滅亡してしまいます。
このとき、敗戦した武田勝頼公の首は京に晒されてしまいます。
これを知った法泉寺三世・快岳禅師(かいがくぜんじ)は、京都の妙心寺に協力を仰ぎ、勝頼の首(歯や遺髪ともいわれている)を受け取り、法泉寺に丁寧に葬りました。
牛蒡(ごぼう)の伝説

「首級牛蒡(しゅきゅうごぼう)」は、武田勝頼公の首と法泉寺にまつわる伝説です。
1582年、勝頼公の首は京都で晒されました。これを聞いた法泉寺の快岳禅師は、京都まで行って首を引き取り、妙心寺で供養したあと、故郷の甲斐にこっそり持ち帰ろうとしました。
しかし当時、法泉寺は織田軍の拠点だったため立ち寄れず、近くの三上家に立ち寄りました。ところが織田の兵に怪しまれたため、首を牛蒡の俵の中に隠して難を逃れました。
その後、山中に仮庵(信向庵)を建てて守り、本能寺の変後に織田軍が撤退したのを見て、無事に法泉寺に葬ったとされます。
以来、三上家では正月2日の日に法泉寺へ牛蒡を投げ入れて挨拶する風習があり、「首級牛蒡」と呼ばれています。
徳川家康が認めた禅師の功績と、武田家ゆかりの菩提寺へ
その後、甲斐を治めた徳川家康は、快岳禅師を登用して地元勢力をまとめさせ、その功績をたたえ法泉寺に寺領を与えます。
そして、勝頼公を「中興の開基(再興した人)」として法泉寺を武田家の菩提寺と定めました。
江戸時代に栄えた武田家ゆかりの大寺院
江戸時代には、甲斐国唯一の御朱印地(幕府から寺領を保障されたお寺)となり、54石の収入と26の末寺を持つ大寺院となりました。現在は当時より伽藍の規模は縮小していますが、武田家とともに歩んだ歴史は今も大切に守られています。
山の麓に…法泉寺
鐘楼門(甲府市指定文化財)

江戸時代初期(1636年)に造られたもので、素木が用いられています。
唐草模様など、江戸時代初期の特徴が残っています。
残念ながら、銅鐘は明治時代の廃仏毀釈の影響で取り去られてしまい、昭和になって復活したものです。
素木(しらき)ってのは、塗装していない木の状態で使用されている木材だよ。
本堂


江戸時代の延宝4年(1676年)に第7世天州和尚が建立しました。
本尊には弥勒菩薩像(定朝作)・聖観音像(弘法大師作)や夢窓国師像が安置されています。
正面の廊下が『きゅっきゅっ』って鳴るね。
なんだか鳥の鳴き声みたいだよ。
ぽんすけ、それはね。
鴬張り(うぐいすばり)って言うんだよ。
普通は侵入者を察知するための防犯目的で設けられることが多いんだけど、江戸時代に造られたことから、寺院の荘厳さや格式を高める建築技法として用いられたのかな?
経蔵・輪蔵


経蔵:文化10年建立
輪蔵:木造八角輪蔵 高さ4.5m
鉄眼版一切経
経蔵は、1744年に檀家の北村氏が金50両を寄進して、輪蔵・・・・・
なんと!!約70年後(1813年)に完成したんだ!!
輪蔵に納められている一切経は、その数六千九百五十六巻。
すごい量だね、70年かけて写経が行われたんだね。
金剛福寿巌(こんごうふくじゅいわ)・金剛智慧不動尊


智慧(ちえ)は、今で言う知恵(ちえ)のことだよ。
仏教で言うと、物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力や、悟りへと導く精神などのことを言うんだよ。
こんぺいが言ってたけど、この岩が法泉寺の山号のもとになったんだね。
慈悲観音石像・地蔵菩薩石像・十六大阿羅漢




いたるところに阿羅漢様がいらっしゃったね。
石造井戸(甲府市指定有形民俗文化財)


江戸時代前期のもので、武田の家紋が彫られているね。
武田信武の墓(法泉寺はじまりの武田)


武田信武公のお墓は取り忘れてしまったよ。
武田勝頼の墓(最後の武田)


指定文化財
市指定文化財

・夢窓国師坐像(43cm)
鎌倉時代末期
寄木造、玉眼嵌入、彩色像
夢窓国師の青年時代の姿を彫刻したものといわれています。
・釈迦如来坐像(53cm)
鎌倉時代末期
寄木造、玉眼嵌入、彩色像
頭にきらびやかな宝冠をかぶった「宝冠釈迦如来像」です。
※寺伝では、弥勒菩薩と言われている。
駐車場とアクセスのワンポイント!
駐車場:あり
料金:無料
お寺への道がわかりにくいので注意!!
👉詳しい入口と駐車場まとめはこちらの記事で!
『甲府五山』お寺ごとの駐車場をまとめたよ!(法泉寺駐車場)

法泉寺への経路は調べておいた方が良いよ!!
駐車場注意事項1(ナビに注意)
スポーツ公園側から来るときは、
金子商店で曲がってね!
ナビで北の山に登って山側からアクセスするように案内されたけど、たどりつけないからね。
そのまま進むと山の中に入っちゃうよ~!
ナビにだまされないで、山には絶対入らないこと!
駐車場注意事項2(駐車場に注意)
駐車場の矢印が、示している駐車場には無理していかないほうが良いよ。
下のストリートビューの場所だよ。
鐘楼門の前に停めた方が絶対に安全だよ。
地図

公式HP
ぽんすけのまとめ
甲府の法泉寺は、武田家の祖・信武が開いたお寺で、信玄公や勝頼公にも大事にされてきた由緒あるお寺。
勝頼公のご首級を守った「首級牛蒡」の話も伝わっていて、武田家とともに歴史を歩んできた場所なんだよ。